こんな園で働いていました

勤めていた保育園の元同僚と話す機会がありました。当時チームで保育にあたって試行錯誤していたことはよく覚えています。今思い返しても学びの多い職場でした。指針は現行の新しいものではなかったでしたが、モンテッソーリを取り入れていたからでしょう、今の保育トレンドを先行して実践していたと思います。こんな保育がしたい、こんな園に子どもを預けたいという私の基準でした。

縦割り複数担任

乳児クラスはもちろんチームでしたし、幼児クラスも縦割りを複数で担任しました。毎日、保育室が空になるとその日のことを共有し、翌日の課題を見通し、そのための準備をしました。材料、教材庫から出してくるもの、家具の配置など。やりがいのある時間でした。今日の課題に対する試みが、明日どうなるか、楽しみでした。翌日のお互いの動きを話し合っていたので、保育の場ではペア担任の動きに戸惑うことはなかった。保育中の会話もほとんど必要なかった。呼吸は計画によって合わせるものなのだと思いました。

子どもが過ごす環境

乳児クラスも幼児クラスも経験させてもらいました。乳児さんの経験はとても勉強になりました。乳児さんは幼児さんのミニサイズではない、別物。食事、排泄、睡眠がどんなに大切であるか、スムーズに1日が流れるために環境を繰り返し見直しました。子どもにとって心地よくないことを大人の都合で押し付けてはいけない。遊びと生活、食事をする場所とスタイル、おむつ替えやトイレへの導線、待たせないための大人の動きによって、子どもの心の安定は違ってくることを知りました。機械的に生活のお世話をするのではない、愛着、信頼を育むために保育者ができることもよく話し合いました。乳児さんが過ごすための環境に真剣に取り組む様子は、当時の私にとって新鮮に映るものでした。ここにきて、こども園化、乳児受け入れラッシュの中、どうか0歳さん、1歳さんにとって、本気で考えられた過ごしやすい場所でありますようにと願います。

落ち着き

モンテッソーリメソッドは落ち着いた保育と言えると思います。先生たちが保育室で大声を出さない。子ども一人ひとりに必要な関わりをするため、みんなに聞こえるような声を出す必要がなかった。今も大きな声を聞くと気持ちが波立ちます。大声を出さなくても、当時の同僚たちは元気で明るくおもしろい人たちでした。一輪車に乗るのが上手だったり、変わった鬼ごっこをたくさん知ってたり、茶道の師範クラスだったり。むしろいつも普通の声で話していたからこそ、その人の際立つところが印象に残りやすかったのだと思います。

一人ひとりに

今、この一人の子にどう関わるか、それをいつも考えていました。それがピタッとはまったときの感動は忘れられないもの。話しながら、20数年前のワンシーン、ハサミが使えるようになった2歳さんが細長い紙を黙々と延々と夢中になって切り続けていた場面を元同僚も私も同時に思い出していました。そこに至るまでの気付きと準備のこと、その子が用意しておいたハサミに自ら手を伸ばした時、そんな思い出が、関わった子たちみんなにそれぞれあって、たくさん喜びをもらいました。みんなどうしてるかなあと今も思います。

行事とつくるもの

行事のために通常保育が影響を受けることは少なかった。運動会と聖誕劇はありましたが、なるべく通常保育を崩さないようにしていたし、子どもや自分たちの衣装や作り物は必要ありませんでした。手作り教材はたくさんつくりましたが、壁面装飾や出し物のための制作はやっていないので、そういったところはラクでした。いろいろやってあげる保育が得意ではなかった。うたのお姉さん、体操のお兄さんのような保育は大の苦手だったので、もしそういう現場だったら何もできなくて身の置きどころがなかったことと思います。

いつもの自分

学生時代の保育実習の時、別の人格のようにならなくてはいけないのが苦痛でした。保育用の顔、声、動き、自分の普段とはかなり違うものを求められて、保育って演技なの?と疑問を持っていました。アメリカでの保育、この園の保育ではそれを求められず、作り笑顔も、高めの声も、大げさな動きもしなくてよかった。保育の場は一日のメイン活動、自分らしくいられないことは子どもも大人も疲れる。そんな場面を見ているだけでも疲れる。イベントや非日常でモリモリにしなくてもいい、淡々と、大きな抑揚はなくても安心して心地よく過ごすことの価値を体感しました。

豊富なおもちゃ

セラに感動したのも、キーナーモザイクにはまったのも、プラステンに出会ったのもこの園に勤めていたときでした。落ち着いた、一人ひとりを大切にした、子どもの主体性に重きをおいた保育だったからこそ、この素晴らしいおもちゃたちが活かされたわけで、おもちゃとの最良の出会い方ができました。私はここからおもちゃの方に進路を変えたのですが、一方の元同僚はおもちゃにはあまり関心がなくてずっと保育を続けています。

だから、その日はおもちゃの話ではなくて保育の話をしました。いろいろ思い出して、恵まれた経験をいただけたことに改めて感謝しました。