保育園児だった頃
自分が保育園児だった頃の記憶は断片的にほんの少しあるだけですが、かき集めてみると概ね「私って他と比べてイマイチね」といったものに集約されるようです。
運動会のかけっこがまずビリ常連で、どこかの学年の時一度、ゴール手前で自分より後ろだった子をわざわざ通してまでビリを守ったことがあった。
幼児の目にも強い子(とそのグループ)というのははっきりしていて、その子達がいつも独占していたブランコやトランポリンは結局卒園まで使えてなかったんじゃないかなとか。
絵の上手な子がいて、腕にハンドバッグをかけている絵に衝撃を受けてこっそり真似したけど、提出する時にばれないように数枚下に潜り込ませた。
みたいな、覚えているのはそんなようなこと。今「自由に遊び込んで!」など書いたり語ったりしていますが、受けていたのはそんな保育じゃなかった気がします。昭和の田舎の典型的な保育だったのではないでしょうか。
保育学生だった頃
やがて学んだ保育そして保育実習。実習の思い出といえば。
歌唱指導でピアノを弾きながら歌いつつ子どもの様子も見るというのが難しかった。
フランネルグラフ(パネルシアターと似ている)を作って見せる。壁面装飾を任される。指導でいろいろ絞られる。そんなところ。自分が保育園児だった頃から激変したというわけでもなく、一斉指導のネタを用意して披露するというスタイルでした。
ずっとこれでやってきた
私前後、また年上の世代のベテランさんたちの中には、保育と言えばこのスタイルを通してきた方もいらっしゃると思います。そのスタイルの中で、子どもたちが、できなかったことができるようになり、また自分が努力して用意したものをとても喜んでくれた充実感を誇りに、このお仕事を続けて来られたことが、今も現場にあると思います。
経験は宝。キャリアは力。この子たちをより良く育てたいという保育の原点の心は同じ。でも、時代は、やり方は変わりました。指針が変わりました。要領が新しくなりました。内容にはずっとこれでやってきたことを見直すものも出てきています。ずっとこれでやってきたことを、今に合わせなくてはいけないところで、まだ時間がかかりそうだと思うことがあります。
今の学び
新しい指針、要領で学んだ保育学生さんがどんどん現場に出てきて、「ずっとこれでやってきた」保育に戸惑う様子をお聞きすることがあります。テキパキした指導力より、待つ、聞く、見るを大切にする姿勢から、経験豊富な方もきっと学びがあると思います。
転換のきっかけ
自分が保育園児の時に、全面的に他の子よりデキが悪いみたいと既に自覚し、それはもう仕方のないことという諦めを覚えたことは、幼児期の経験として、ひょっとして良くなかったんじゃないだろうかと思います。一斉に何かをやって優劣がつくということ、子ども心にも自分がどちら側かわかるということ。その意識はその後の集団生活でも少なからず影響すること。
楽しかったなあ!ということがあまり思い出せない、というか、より印象に残っちゃったネガティブな思いがそれを上書きしてしまった。ずっとやってきた保育の中には、そうやって育った人が私以外にもいたんじゃないかと思います。
今の学びは、一斉指導の中で優劣をつけるのではなく、ひとりひとりが主体的に遊びこむ中で個々の育ちが大切にされるというものになっていて、多分そっちのほうが幸せに感じる子が多くなると思います。だから、ずっとやってきたことばかり大切にするのではなく、やはり変わらなくてはいけないところがたくさんあると思います。
私自身が変わったきっかけは、海外の保育を経験したことです。それがなかったら難しかったかもしれません。その経験がなくても今のやり方を大切にされるベテランさんは、こころから子どもさんを慈しんでおられる本当のプロだと尊敬します。
変わると言っても…
私が海外の保育で体感してようやく理解したように、変わると言っても今までの習慣から何をどう変わったらいいのか、簡単ではないと思います。だから、店として保育の研修を始めました。知っていただいたらそちらに転換した保育をやってみたい先生方はたくさんいらっしゃいます。知っている方が増えることが大切だと考えています。
久しぶりのおもちゃコーディネーター養成講座は、多くの関心をいただいています。ずっとやってきた保育から、今目指す保育の実践へ。そのことが育つ子どもさんの幸せにつながりますように。