実は本当のこと、遊べる環境づくり

先月、静岡のセミナーに出かけた時に聴いた、なかなか興味深かったお話しです。
本当はこんな書き方どうかな?と思いながらなのですが、ご紹介します。

いきなりですが、
東大入学と家庭の所得には関連があるという研究がありました。東大生には所得の高い家庭の割合が高い、と。
それを見て、格差は連鎖するとか、なんだかんだありました。小さい頃から高額の教育費をかけることが東大入学の近道であるという印象を与えたと思います。

ところが…
どうも所得が高いから、ではなくて、あることを心がけていたお家は所得の高いことが多かった、という、逆からのアプローチのお話しでした。それは、小さい頃から遊びの環境を大切にしてきたお家、ということでした。もちろん、高額のおもちゃを揃えていたということではありません。子どもが自分の手や頭を使って、体験が経験となる遊びを心がけてきた。たくさん本を読んであげてきた。のびのび遊べる環境を意識的に用意してきた。

それにはどんな効果があったかというと、子どもの語彙力に差がついたそうです。

語彙力は国語力につながります。国語は、点数を上げるのが難しい科目で、勉強方法もこれといった決め手がありません。勉強しなくてもできる子はラクラク点を取ってしまう。差がつくから得意にしておくと結構有利。その国語力の基礎が、幼児期の遊びや読書体験ということでした。受け身ではなく能動的に遊び、人と関わり、ぶつかったり考えたりするたびに、内的にも外的にも、言葉がどんどん増えます。それは、プリントやDVDで増える言葉とは質が違う。国語力は全ての教科の基本です。どうも、ここで差が出てきているようだ、と。だから、高所得じゃないから、ということは、必ずしも理由にならないらしい。

周りを見ていると、実は案外本当のことだろうな、と思うことが多いです。
もちろん、学力という方向だけではなく、人間関係をうまく築けるとか、生き方がポジティブであるとか、いろんな面で頼もしいと思えるのが、さんざんしっかりと遊んできた子かな、と感じます。

その場を作るのは、一日のメインの時間を過ごす園であり、学校でも低学年ならまだまだそうであって欲しいなと思います。子どもは力があるから、教えればそれは何でも吸収するし、やってのけます。何ででも遊ぶし、物ごとを楽しくしてしまう天才です。だからなんでもやらせたくなっちゃったり、逆にそんなに考えてあげなくても大丈夫と思ったりしがち、かもしれない。
でも、大人がやるべきことは、子どもが良い遊びをしっかり遊べるお手伝いに尽きるのだろうな、と考えてます。