がまんがまん

子育てはがまんの連続です。自分のやりたい時にやりたいことができないのはもちろん、人から言われること、成長の過程のこと、一滴ずつ、いつかがまんの壺があふれるのではないかと思うほど、いろいろ溜めながら、それでもかわいいな、嬉しいなと思うことに助けられているのではないでしょうか。

今回は、がまんの中でも、遊びの場面において、子どものこと、ちょっと我慢して見てみましょう、ということを考えてみます。

遊んでいる子を見て、こうやったらうまくいくのに!と思うと、つい「ほら、こうすればできるよ」と言ってあげたくなります。ちょっとがまん。確かに、うまくできないとすぐに諦めて関心を失ってしまうことがあります。それはもったいないと思うのも当然で、実際、教えてあげるタイミングというのも存在します。でもそのタイミングというのは、普段からよくよく見ていることによってつかめてくるものです。だから、まずは教えてあげたい気持ちを抑えて、よく見る。すると、うまくいかないとすぐに諦めることと、うまくいかないけどやってみようとしていることの違いが見えてきます。子どもなりに漠然と、できそう、無理そう、やってみたい、それほどでもない、ということを判断しています。優先するべきなのは、『やらせたいこと』ではなくて子どもの『できそう、やってみたい』です。実際に、子どもってそういう気持ちを持って取り組んだことしか楽しめない人たちらしいです。
自分でやってみたいと思ったことを自分のやり方でやってみてもいいんだ、という経験は、たくさんさせてあげたいと考えています。その経験の積み重ねが意欲の原動力になると思います。そのためには、大人の穴が開くほどの観察と、適切な環境づくりと、そしてがまん、が必要になります。

これは店内でのことですが、子どもをよく見ていると、遊びの切り上げ時が見えてきます。月齢が小さいほど、店内で楽しく遊んで過ごせる時間は短くなります。疲れきってわけがわからなくなる前に切り上げてあげたいなと思うことがあります。一方で、大きくなるとかなりしっかり遊び込めるようになります。すぐに遊びに入る子もいますが、暖機運転が必要な子もいます。予定していた時間をオーバーしそうなのもよくあることです。また、今日はいつもと違ってあまり落ち着かないことも、落ち着いていることも、それぞれ、いろいろ。これは、大人の思う時間枠に子どもがうまくはまってくれないという点で強いられるがまんで、双方息ぴったりというのは少ないようです…大きい子なら、大人の都合もきちんと知らせてお約束できますが、特に小さい子の場合は様子を見て大人の判断が必要になります。

いろいろ、大人の思いを抑えて、がまんして、じっと、よく子どものことを見ていると、がまんのつもりがけっこう楽しくなってくることがあります。次の遊びの仕掛けのアイディアもわいてきて、大人の方が意欲を引き出されることもあります。どんなに良く見ていても、その瞬間はどんどん過ぎて、どんどん大きくなって、二度と戻ってこない。がまんだけれど、がまんじゃない。子どもと過ごす大人は、パパママでも、おじいちゃんおばあちゃんでも、保育者でも、子どものことよーく見て感じる、という経験してほしいなと思います。