社会が持つ意識の違い、日本と比較

ドイツ3日目。
今日はドイツ博物館を見学します。最大級の科学博物館です。ヒトの細胞からビッグバンまで、真理探究のお部屋がつながっています。

園児さん、小学生、中高生、たくさんのグループがいつものお散歩コースみたいなノリで見学に来ていました。

「数学」の部屋で、いかにもやや反抗期的中学生な女の子3人組が、ガムを噛みながらモニターの数学の問題を囲んで解法を話し合っていたのはカッコ良かった。

そこにあって、触れる機会をつくることは大人の仕事。見つけて感じて学んでいくのが子どもの仕事。ドイツの教育の根っこにその意識を感じる機会が繰り返し訪れます。
この旅では、一回ごとは短い時間ですが、数多くの在住の日本人の方にお話を聞かせていただく機会に恵まれています。日本とドイツの教育への意識の違いがはっきりしてきました。

お会いした方どなたも、どちらが良いという言い方はされません。
日本は集団の意識を大切にしている。ドイツは個人の意識を大切にしている。
これはもう、はっきりした違いのようです。そのためにプログラムされることが、幼稚園に入ったその日から大きく違うお話を伺いました。おもちゃは、癒しでも弄ぶものでもなく、その子が自分の個を確立していくための大切な道具であり、その意識で作られています。異なる意識ベースの上に同じおもちゃが与えられた時、自分は今いる方の環境の中で何を目指すのか、ずっとモヤモヤし続けていたことが、なぜモヤモヤしていたか原因くらいはわかってきた気がします。ではこれからどうするか、それはまだ続く旅の中で、手がかり見つかればよし、見つからかったらまた探しにこよう。そんな感じで続きます。

個を育て、いろんな意見が現れるようになります。そのときは、それぞれの意見を言い合い、時間をかけてみんなで結論を出す。それで出た結論にはみな従います。というお話は改めて印象的でした。街が、誰もが落ち着けるように作られています。日本の街中で、自分が一番目立つための音、光、画像…乱立して、エスカレートして、集団主義とは…と感じさせられます。

そうやって思考に明け暮れて旅を続けているかというと、実際のところは、きれい〜おいし〜とホクホクしてる道中です。

ニュルンベルクはやはりニュルンベルガー(ニュルンベルクのソーセージ)。