ドイツのおもちゃ屋さんにたくさん行きました。もう、片っ端からと言っていいくらい。個性ある品揃えの個人店から、どこに行っても似たような感じのデパートの一角まで。
ディスプレイや陳列など、いちいちテンション上がるのですが、ちょっと冷静になって見渡してみます。
積木…少ない?!
構成遊び…ない??
ヨーロッパのおもちゃメインのクルテクですが、あまり品揃えが重なっていない衝撃。プラステン、どこにもなかった気がする。自国メーカーの意識が高いのでしょうか?ネフ、ユシラ、アルビスブランなど、ドイツ以外のメーカーのものはあまりなかったです。
印象深かったのは、ごっこ遊びの多さです。お人形とその回り。ドールハウス。おままごと。仮装。
あと、ボードゲームやレゴ、車のおもちゃ、プレイモービルはどこでもたくさんありました。
他に手仕事。作ることが好きなようです。マイスターの国。
「ドイツで今売れるもの」なのでしょうか。ドイツの若いご両親の意識や好みも変わってきている、それはよくお聞きしますが、子どもの遊びとは何かということに対する考え方もおもちゃに表れて来ているのではないかと考えました。
KIDSいわきぱふさんの岩城さんも仰ってた、「遊びとは文化を手渡すこと」。
遊びは生活。遊びを通して身の回りのことを知る。その意識だと思うとストンとくるのです。
お世話や物語、身の回りの社会の様子を遊びを通して再現することができる。
ヨーロッパのおもちゃはデザインのセンスが良いから、日本には見られないそのかわいらしさ、美しさに大人も憧れる。出会ったことのない思いがけない仕組みも、感動は大人も子どもも関係ないです。私も、大人になってから出会い、美しさとおもしろさに感動しました。そのあまりに、自分でも時々子どもたちのことを忘れることがあります。大人とこの感動を分かち合いたくなる。でもそこは思い直して、やはり、子どもの、遊びを通した育ちのためにおもちゃはつくられたのだという心をいつでも振り返りたいと思います。
ドイツの街を歩いて、その憧れのおもちゃ達は、当然、現地にとっては美しい異国の風景ではなくて、自分たちの毎日に普通にあるものであることに気づきます。
ラベンスバーガーパズルの洒落た絵柄は、同じ風景がそこにあります。
そのまんま。田舎も都会も。
おもちゃは、自分たちが担う社会や歴史が子どもたちに疑似体験できる形でそこにある、生活に密着したものであることを日本におけるおもちゃの意味より感じました。
ヨーロッパのおもちゃを日本に持ってきても、生活や文化、歴史が違うから、同じ遊びはできない?おもちゃ屋を巡るうちに、考え込んでしまいました。
いやいや、そこは、遊べばいいと思います。自分たちにも生活があります。身の回りに何かあります。物語があります。それらをおもちゃを通して表現すれば良いのでは。生活、文化、歴史、再現しようとすると、毎日何を見ているか、感じているか、見えてくると思います。
積木や構成遊びと言われるものは、幼稚園にありました。
ドイツの幼稚園にはおもちゃがあることが当たり前のようです。街のおもちゃ屋ではあまり見かけなかったデュシマ社の製品が、ドイツシェア2位というのは幼稚園にニーズがあるからでしょうね。
楽しくてきれいなプリズモ。大袋で入荷します。園でみんなで使うなら適量です。ご家庭でこの量は多いですよね。クルテクではせっせと小分けして個人ユースに対応しています。本当は、ボードを全部赤で埋める!とか園で大量にあればできることもやれたらいいだろうなと思ったりもします。
主体的に。個を大切に。遊びを中心として。
このキーワードで幼児教育を考えるなら、やはりおもちゃは欠かせないと思いました。
といいますか、ドイツではおもちゃを特別視していないと言うか。わりとあって当たり前で、神聖化しているわけでもないし、うしろめたいものでもない感じ。たいして気合い入れずに身の回りにあって、それを使って遊ぶことが自然になるといいなと思いました。
おもちゃの国にて。