おもちゃがある環境、ない環境

今、自宅をプチ改装するのに準備をしています。広くて仕切りのなかった子ども空間に仕切りとドアを付け、中学生息子のプライベートスペースをつくることにしました。そのために、ゲームやレゴ、積み木、本、その他いろいろ、子どもたちが普段遊んでいるものを一切片づけ、工事に入ってもらえるような状態にしています。

で、子どもたちがなんか落ち着かない。
楽しそうになにもないところで遊んでいるのだけれど、なにか違う。子どもは何もないところからも遊びを生み出します。たしかにそう。遊んでいる。喧嘩するでもない。でも、なにか違うんです。
子どもが遊ぶ環境づくりのことは、保育者として現役で働いていた頃からずっと関心があったこと。子どもには遊ぶための適切な環境、それは物であり人であり空間であり、それはやっぱり不可欠だと改めて思うのです。楽しそうよ?どこが問題なの?今のうちの子ども達の姿を見て、そう問われると、あれ?私は何が気になるんだっけ?ここ数日考えているのだけれど、どうもうまく言葉にならないのですよ。それは、やはり整えた空間で本当に遊ぶということを見ているから、比較して物足りないのだと思うのですが。

そして、仕事として、やはり子どもはここまで遊び込み、遊んで満足のため息をつく、その経験をする子ども、それを目にする大人、その機会を少しでも増やしたいと思うのです。子どもの方は力があるからそれに任せたらいいのだけれど、大人の方に、そういう子どもを見て子どものこと見なおしたり感動したり。関心を持って、守りより攻めの癒し。うーん、例えると、何かしてもらって癒されるのもいいけれど、自分の足で山に登って頂上に立つことで癒されるような、そんな元気を出してもらえないかなあ。そんなことを思っています。