大人もおもちゃが好きで良いと思う。
おもちゃの意味合いが、国(言語?)によって少しずつ、微妙に違っているようで、日本だと、もてあそぶもの、今ひとつランク下のものといったイメージがありがち。大人がおもちゃが好きとは胸を張って言いにくそう。あるいは、それはもう雑貨カテゴリーという感じでおもちゃとは呼ばれなくなります。
ドイツのエルツ山地にあるおもちゃ村・ザイフェンは、村全体がおもちゃ屋さんでびっしりで、それはもう素晴らしい場所なのですが、おもちゃと言っても叩いたり組み立てて遊ぶようなおもちゃではなく、置いて飾る工芸品だったり、ごっこ遊びのお人形だったりが主な製品でした。その文化では、心に余暇を与えるものをおもちゃとしているのではないかというのは個人の見解ですが、大人も子どももそれを大切なこととしていることは伝わってきます。日本だと、心の余暇は怠惰とも取られ、そのゆとりのなさがおもちゃが好きであると言いづらくしているような気がしています。
大人が本気で和むために本気でおもちゃが作られ、人は集めたり眺めたりして楽しむ。子どもが無心で遊ぶのと同じように、大人も心からおもちゃに惹かれるのです。
ということを店頭でよく感じています。
子どものためだけの店ではなくて、大人の方にも多くご来店いただいておりますが、本当に喜んでいただいており、良いおもちゃの力には対象年齢などなし、と思っています。
遊びって大事、おもちゃって重要、この思いが向く方向が多方面になってきました。子どもの育ちだけではなくて、大人も罪悪感なく心にゆとりをもつことが大切。遊びとおもちゃの地位はもっと高くて良いと思う。かわいいおもちゃを見ている人はみんなかわいいが伝染しています。