なまぬるい風がふいています

昨日のように、雨が降るちょっと前のような生暖かい風に当たると、小学校一年生のときのことを思い出します。授業で外に出たとき、そのような風に当たりました。教室に戻ってから、『なまぬるい風がふいています。せんせい、』の書き出しに続いて、先生にお手紙を書くような体裁の作文の課題がありました。

私は、『せんせい、なまぬるい風ってきもちいいね。』と書きました。なぜ今でも覚えているかというと、クラスでその風を気持ちよく感じたのは私だけだったらしく、先生が取り上げて読み上げたからです。他の子は、なまぬるい風は気持ち悪いという、マイナスの表現をしたようです。そして、それを心地よく感じた私は「え〜なまぬるい風って気持ちわるいよ〜」とまわりから言われました。

別にそれで揶揄されたわけではなかったのですが、もしかしたら自分の常識は人の常識ではないということに気づいた最初の体験だったかもしれません。大きくなるにつれ、空気というものがわかってきます。自分が心から感じる前に、こう感じるべきというフィルターがかかって、自分の本音や本当に感じていることがわからなくなってきます。みんなが気持ち悪いと感じたことを気持ちよかったと感じられたあの頃の感性のままで行けてたら、また人生違っていたかもしれないな、と思います。

今も思い出すことですが、今になって、その時の先生が一人だけの違う作文を褒めるでもけなすでもなく、特に感想も述べず、淡々と読み上げるだけでいてくださったことが優れた指導だったような気がしています。人によって感じ方が違う、そしてそのことを評価しない、その先どうするかは人それぞれ。長い間そういったことを考えることもありませんでしたが、昨今の一つの思想への誘導を感じながら生ぬるい風にふかれて、ふと考えてしまいました。

もうその先生はずいぶん前に亡くなられましたが、先生が思っている以上に子どもは先生のちょっとした一言や行動を長く心に残しているものかもしれませんね。