良い子じゃなかった

子ども3人とも私の背を抜きました。子育て終盤に入ってます。3匹のコブタじゃないですけど、一人ずつ自立に向かって行く時期にきて、いつまでたっても気がもめる。20年いろいろ悩んできたけど、みんな忘れちゃうのはいつも強烈な上書きがあるからなのだと思います。

何となくそれぞれが好きなことやりたいことを見つけているようです。それが呆れるくらいに三者三様、本当に同じ親から生まれたのかと言いたくなるくらい全然特性が違います。こちらは飽きないのはまあ良いです。そういったお話をすると言われることが多いのは、「いいですね、好きなことが見つかるのは。どうやってやりたいことを見つけられる子に育てたんでしょう。」と言うことです。そうやって問われると意識していたことはあまり思い当たらなくて、この機会に考えてみました。

全肯定し、思いに寄り添い、やりたいことは何でもやらせ、こちらからもいろんな経験に触れる機会を積極的に持った、わけでは全くありません。禁止していたこともこだわっていたこともいろいろありました。親の価値観は割と伝えていたと思います。その中で、しょうがない、こういう家庭に生まれたのだと思って飲み込んでいたことは子どもたちの中にもたくさんあったと思います。

でも、3人とも良い子ではありませんでした。縛りをかいくぐって、隠していろいろやってくれました。私が目を離しているときがちゃんとわかっていたみたいです。そうすると、行動が変わるので私はそのときに気づきます。気づいたら相手は単純なのでバレます。そういったことの繰り返しでした。どうもこの機会に思うに、隠れてまでやろうとしたことがそれぞれが好きなことだったらしいと言うことです。その行動については、具体的に何をやっていたかと言うことより、何に関心を向けていたかと言うことを考えていました。けっこう奥深くまで読みました。これがやりたかったと言うより、これをやることで気になっているあの友達との会話を盛り上げたかったんだな、とか、そこはじっくり考えてその思いは理解するようにしていました。その習慣からの積み重ねはあったかもしれません。

親の言うこと、先生の言うことは聞く人もいます。なぜうちの子たちはそう思わず家庭でも学校でも良い子じゃなかったんだろうと考えましたが、きっと普段との会話で親自体がそう思ってないことを嗅ぎ取っていたのでしょう。かなりおしゃべりはした方だと思います。親が「それは正しいとされているけどそうは思わない」などの発言を普段からしていたことが、合わせ鏡のようにこちらに返ってきていたのだと思います。

努めて意識させないようにしてきたことはあります。それは、性別や生まれ順、地域のこと、家のこと、将来のこと、などでした。男の子だ、長男だ、継ぐべき家や家業がある、将来安定している、そういったことは無視できないことだから、言い聞かせていけば意識に入っていくと思いますが、たまたま言う必要がなかった結果、自分たちのことしか考えていないようです。好きなことは見つけやすかったかもしれません。そうはいっても単純にいいですね、というものではないと思いますし、この先も心配は続きます。いつになったら楽になるんでしょうね。