メソッドとスタイル

1月ミュンヘン行きの飛行機の窓から。富士山だ。

ドイツ・チェコの旅から戻り、保育のこと、おもちゃのこと、子育てのこと、刺激を受けて、よしこれからと思ったところで世界の状況はどんどん変わり、店のあり方も判断を要し、試行錯誤しているうちに3ヶ月たっていました。今やりたいこと、できること、できないこと、やるべきこと、まだまだこね回している状況ですが、思いついたことから。

幼児教育メソッドのことは何度も考えてきました。モンテッソーリについては専門士としての資格と経験はあるとして、フレーベルについても研修や独学で深めてきましたし、シュタイナーについては浅いです。どれも、提唱者の理念に沿って、芯ある保育として定着しています。
私は、メソッドについては、全部肯定としています。子どもの育ちにはどれも必要であると思うのです。数の概念もメルヘンも、ひとりの中に同時に持っていても不思議はないのではないかなと。

どんなメソッドを方針にするかということと、今後注目していきたいのはスタイルです。どのメソッドにもスタイルはあるので分けて考えにくいのですが、逆に、どのメソッドでも、メソッドがなくても実践できる形として考えていきたいと思います。

まずは、どこにたどり着きたいかを考えることからでしょうか。
個人としての幸せはどこにあるのだろうということから。きっと「やりたいようにやれる」ということかと思うのです。自分のそれを守ってもらうと同時に、他者のそれも保障するという前提条件があります。
さかのぼって必要と考えられる経験は、自分が何が好きで何がやりたいかがわかるということ、それが十分にできること、自分と違う考えの人を認めるための話し合いができること、ルールを決めて守ること。そこから内容を考えていくことを課題としていきたいと思います。

先生たちはいろんな方がいると良いなと思います。動くのが好きな方、歌うのが好きな方、つくるのが好きな方。たくさんの選択肢があれば、子どもも好きなことが見つけやすい。動くと言っても、鬼ごっこもあれば、線上歩行、オイリュトミー、いろんな動きがあります。歌うのも、つくるのもそう。

「個人の幸せ」を目指して保育をつくりあげてくなら、なんでもOKではないことにも当然思い当たってくると思います。健康で文化的であることに基づいた個人の幸せのベースは、大人の判断で取捨選択しなくてはいけません。そこで教育者たちが系統立ててきたメソッドはとても参考になります。良いものを取り入れていただきたいです。

それらの活動を、どのようにデイリーで組めばやりたいことを見つけ、十分に取り組むことができるか、年齢構成、集まるタイミングなど、スタイルについて試してみたいことはたくさん見つかると思います。
私は「個人の」というところにはこだわりたいです。だとすると、既存の保育から思い切った発想の転換が必要になってくることもあるかもしれません。でもそれは外国ではずっとやってきた当たり前の保育かもしれません。
養成校で習ってきたことと、就職した園での実践は、保育スタイルに大きな影響を与えます。経験と視野を広く持つ機会があると良いです。

自分でも広く見ていきたいですし、またご紹介していけたらと思います。